2015年2月6日金曜日

新聞社さんの原稿を書くとき

あまりたくさんではないですけど、
新聞社さんのお仕事をすることがあります。
昨年末は、
阪神・淡路大震災から20年を機に発刊される
冊子の冒頭部分を書きました。

そういうお仕事のときは、
書き始める前に、
「どんな人が読むのか」について、ものすごく考えます。

就活サイトなら、就活中の学生さんが読むでしょう。
大学パンフなら、主に高校生とその親御さん、高校の先生が読むでしょう。
取材するときも、
対象者の人に
「こういう人がきっと読むので、こんな話をお願いします」と伝えます。
知りたい人に、知りたいことを届けるのが、
ライターの主な仕事だと思っているためです。
しかも大半が「役に立つ」記事なので、読む動機もわかりやすい。

それが新聞関連となると、
読者層も読む動機も、ものすごく広くなります。
年齢や仕事もさまざまだし、
人生経験や考え方なんて、それぞれが違うはず。

どんな人が読むかわからない中、
大震災について語りかけるというのは難しいです。

家族をなくした人も、読むかもしれません。
まだ生まれてなかった人も、読むかもしれない。

自転車に乗っていても、顔を洗っていても、
玉子を焼いてても、ゴミ出しをしていても、
そのことばっかり考えていたりします。
短い文に、膨大なウォーミングアップ。

心に響かなければ、その文章の価値はありません。
なのに、
響きすぎると苦痛かもしれない。

そんな膨大な遠回りの末、
シメキリ時間になると、原稿は私の手から離れていきます。
誰が口にするかわからない、
赤い林檎かなんかを送り出す気分で、
もう「頼んだよう~」と「送信」ボタンを押すしかないです。

こういうところは、
媒体によってずいぶん違うなあと、いつも思います。

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