2019年9月7日土曜日

「こくご」が泣いている

久保田です。
このあいだ、目がテンになりました。
「国語」から「文学」が切り離されるという話を読んだからです。


















私は大学で「日本語のスキル6」という授業を担当しています。
「こくご」とは何か、いつも考えています。
いつも身構えています。
小学1年生の子どもにも、大学生にも、きちんと答える必要があると思っています。
教えているかぎりは、それが責任です。

どんな勉強も、かならず生きることにつながっていますが、
なかでも
「こくご=(にほんじんの)ことば」は生死を分ける勉強です。

「死にそうなダメージを受けるようなけんかをしないために必要な勉強」です。

親子の関係は、うまくいっているでしょうか。
どうして、よく知っているはずの「日本語」が伝わらなくて、
けんかになるんでしょう。
夫婦はどうですか。
上司と部下は。
先生と生徒は。
ネットを見ても、文春を読んでいても、
「日本語」が伝わらなくて、死にそうなダメージを受けている話でいっぱいです。

漢字や文法を、知っているに越したことはないですが、
多少知らなくても、死にそうなダメージは受けないと思います。

コミュニケーションでもっとも意識しなければならないのは、
「ほかの人の心に分け入っていく」という点だと思います。
じぶんのことばが、
「ほかの人の心に分け入って、たまに、ささってしまうこともある」点だと思います。

ほとんどの人は、たくさんの人生を経験できません。
親をなくした人、
病気で苦しんでいる人、
自分がいやで消えてしまいたい人、
自分がこの世で一番えらいと思っている人、
誰かに仕返しをしたいと思っている人、
この世には、いろんな人がいて、
いろんな人とコミュニケーションをすることになりますが、
その、いろんな人たちの心を理解して
日本語を使うのはなかなか困難です。

文学を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いても、
だからといって、
どのくらいコミュニケーションスキルが上がるのか、
私にはわかりません。

でも、たくさんの人は実際、
文学を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いて、泣いたり、心が揺さぶられたりします。
自分のことじゃないのに。
自分がした経験じゃないのに、心に分け入られてしまいます。

たぶん絵本を読んでもらったりしているうちに、
自分がしているすべてのこと、
使うことばが、している行動が、
「ほかの人の心に分け入っていく」のだと
学校で教わる前に、子どもたちは知るのだと思います。


















「こくご=(にほんじんの)ことば」は生死を分ける勉強です。
多くの子どもは、そして大人は、
文学から、そして文学とつながるさまざまな表現から、
生死を分ける勉強をしているはずです。

コミュニケーションは、生死を分けるいとなみです。
「国語」から「文学」を切り取ってしまうと、
コミュニケーションから「こころ」を切り取ってしまうかもしれない。
こころないことばを、増やしちゃだめなんじゃないか、
そんなことを考えました。